こんばんは、ハザマシジマです。
私の精神構造について考えてみたところ、気が付いたことがあったのでそれについて。
初めに、得られた気づきについての要約を。
自分の望みが裏切られる状況であるならば、その望みを諦めることにより、望みの裏切りによる精神ダメージを削減できる。
しかし、諦めを身に着けると、後でその望みを叶えられる機会がやってきても、よほど分かりやすいものでなければ発見できなくなる。あるいは発見できても疑って機会を掴もうとしなくなる。
では、よほどのものが来た場合は?
「機会はこれしかない」と深く機会を追うか、周りの都合で機会が奪われるよりは自分のタイミングで機会を諦めた方がダメージが少ないとして道半ばで自ら諦めることになる。
例え前者を取るとしても、機会の存在を常に疑いながらの行動となり、機会の存在に対する保証が常に欲しくなる。
また、諦めと依存の精神状態は人生の早期で身に着けたものであればある程、諦める前・依存する前がどうであったかという情報が無くなるので、身に着けた本人が気が付きにくくなる。
この諦めの突破口となりそうな策として一つ。「自分はどうしたかったか」とゆっくり何度も尋ねること。その最中に強い感情の動きが現れた場合、そこまで強く思ったのは何故かということを念頭に置きながら再び「どうしたかったか」と尋ねる。
分析の詳細は続きを読むからどうぞ。
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