直観が強く働いたと思しき体験:LISAとの出会い
今回は、人生の中で不思議な感覚になった体験について時期ごとに整理しながら書きます。
私の大好きなゲーム、LISAとの出会いについて。
2014年秋~その後約1年:LISAへの思いを募らせる
私が最初にLISAを知ったのは2014年秋のことでした。steamという未知のプラットフォーム、更には全編英語、有料、ネットでのみ購入できるということを知って、まずはプレイ動画を当たろうと検索をかけました。が、当時は発見できてもLISA the Firstの動画のみでした。LISA the Painfulのリリースが14年12月なので、当然ではありますが。それでも少し寂しかったです。
その後もたまにLISA the Painfulのプレイ動画を探していたのですが、発見したと思ったら15年1月の生放送の痕跡があるだけだったという成果の時期もありました。
しかし、15年夏に日本人の方の実況動画を発見し、更新を追いかけて視聴しました。そうしているうちに、LISAが更に気になってきました。
しかし当時はネット上での商品購入すら、私には馴染みがなく抵抗感のあるものでした。そしてLISAプレイは諦めていました。
それでも、視聴を続けているうちにLISAへの思いが大きくなってゆきました。10月辺りには「遅かれ早かれ私は自らの手でLISAをプレイするのだろう」と突然思うようになりました。そう思ってからは、ネタバレ防止のため実況動画を追うことを止めました。
実行に移すとしてできそうかどうか、ではなく「例え難しい道であろうと私はそうするのだろう」という思いを抱いたのは私の中では珍しいことでした。
2015年10月:抵抗感が時間を追うごとに薄くなる
最初はLISAのプレイは言語・プラットフォームにおいて不安で、手を出すのに抵抗を感じ諦めていました。それが、「遅かれ早かれLISAをプレイするのだろう」と思ってからは、その抵抗感・諦めが日に日に薄くなってゆきました。
「日本人にも利用可能なプラットフォームで、当時の私でもできそうな課金方法も存在していて、英語とはいえ台詞の中の分からない部分を調べる余裕もある」というように、状況は何も変わっていなくても、LISAをプレイする方へと捉えるように考え方が変わってゆきました。
そう捉えてからは、「このままでは、私は無意識のうちにふらっとコンビニに寄って、ふらっとウェブマネーを買って、ふらっとsteamに登録して、ふらっとLISAを手に入れるのだろう」と思うようになりました。
その思いを抱えながら日々を過ごし、10月下旬には何の抵抗感もなく「ちょっとLISAを購入しに行こう」と気楽に思い立ちました。
すると、ちょうどハロウィンセールの最中でした。steam上のセールの存在を何一つ知らず、もともと定価で購入する気でいましたが、「まさに今だ」と思いsteamに登録し、ウェブマネーを購入し、LISAを入手しました。勿論DLCのJoyfulとアートコレクション、サントラもセットで。
未知のことであるという緊張がありながらも、行動は運命か何かに導かれるようにしてほぼ抵抗感無しで起こせました。
「○○したい(強い意志)」ではなく「○○するのだろう(力のこもらない予感)」から、私の意識ががらりと変わるのが印象的な経験でした。
しかし、ものの見事に見据える先がLISAまっしぐら。これが内向的直観でしょうか。
外向的直観なら「LISAは良いかも」→「では別のsteamゲームはどうだろう?」「では別の鬱ゲームは?」「ドット絵の雰囲気が良いゲームは他にもないだろうか」「重い内容なら、ゲームだけでなく映画や小説にもありそうだ」などというように色々と興味が移るのでしょうか。
今回は以上です!閲覧ありがとうございました。