ハザマでシジマな瞑想所

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Rando精神考察4 -人格構成要素 描写外予測編

前回:Rando精神考察3 -人格構成要素 描写読み取り編 - ハザマでシジマな瞑想所

第一回:Rando精神考察1 -境遇と人格の不均衡?フラッシュ前編 - ハザマでシジマな瞑想所

 

こんばんは、ハザマシジマです。

 

前回に引き続き、Randoの精神についての考察を。

第一回および第二回では、彼の人生の描写がある部分を振り返りました。

そして前回、第三回では、二回にわたって振り返った、明示された情報から、Randoの人格構成に繋がる要素を挙げました。


今回は、Randoの精神の強さについて、ゲームおよびプロフィールでの情報が無い時代を推測しながら、見ていきます。

LISA the Painul,Joyfulのネタバレにご注意ください。

 

 

孤児になる前、孤児時代の彼は?

孤児時代、もしくは孤児になる前に、ある程度育ちが良かった可能性も、あるかもしれません。

 

ただし、孤児時代までには、実の父親含め、男性にはさほど恵まれなかったようです。

というのも、ペインモードクリア後のエピローグにて、Bradのことを"Dad(お父さん)"と呼んでいる場面が見受けられるからです。

 

そこから、Randoの実の父親の記憶は希薄か、あるいは父親としては不適切で、「お父さん」と呼びたくない人間だったことが考えられます。

 

また、Brad以前にも、「お父さん」と呼んでいた男性はいなかったものと考えられます。

「父親が複数いてもいいじゃないか?」…私も一瞬そう思いました。

しかしRandoは、「お父さん」と呼ばれるのを嫌がるBradを、父親だと思いたがっていました。

これが、他に「お父さん」と呼ぶにふさわしい人がRandoの傍に居れば、Randoは態々嫌がるBradのことを「父親」とは見なす必要はないと考えられます。

 

ここからは、Randoにもたらされた恵みは、読み取れませんでした。

では次へ。顔を剥がれた後、彼の青年時代を推測してみましょう。

 

 

Randoは、Brad,Buzzoより視野が広かった可能性も?

彼の青年期の推測ー名を告げぬヒーローになっていたのでは?

彼がまだDustyという呼び名しかなかった頃、Buzzoに顔を剥がれたところまではゲーム中で描写がありました。

しかし、その後の彼の人生、Randoという名前がどこから来たかが、不明瞭なところです。

 

が、Randoという名前。彼の吃音症良い人であろうとした姿勢…

それらから導かれる、一つの予測があります。

 

「彼は、名を告げぬヒーローとして、多くの人を助けていたのではないか」と。

 

 

Randoという名前について

ではまず、randoという単語の意味から見ていきます。

randoとは、「見知らぬ人物、あるいは意外な人物」という意味を持つ、砕けた英単語です。

参照:RANDO | meaning in the Cambridge English Dictionary

 

"That rando helped me again." "A rando with red skull mask saved me."

などと、彼が仮面を被り、人々の中で「見知らぬ奴(rando)」と語られていくうちに、Randoという呼び名が定着したり、Rando軍ができるほどの信頼を人々から獲得したりしたのでは、と推測しました。

 

 

 

彼の吃音症と関連して

そして、「見知らぬ奴(rando)」と呼ばれていた推測から掘り下げて…

ヒーローには、ある定番の約束事があります。

それは、「ヒーローは正体を隠す」こと。

 

これに則り喋らず、更に仮面をつけることにより、

彼の吃音症と顔の傷を隠しつつ、ミステリアスなヒーロー像により近づけます。

一石二鳥の方法ですね。

 

実際、Randoの名前は知れ渡っていても、彼の声は殆ど知れ渡っていなかったこともあります。

Painful終盤では、Rando軍の人間でさえ、「Randoの声を初めて聴いた」という旨の発言をしていたことが確認できます。

 

 

彼の愛は幅広い相手に向かっていたのでは

先程の、Randoが名を告げぬヒーローだった可能性から、更に掘り下げます。

 

BradおよびBuzzoが、Lisaただ一人を想い続けていたのとは対照的に、Randoは多くの人を想っていたのではないかとも、予測します。

 

孤児院に入っていたなら、多くの苦しみを見たかもしれない

彼が孤児院に入っていたなら、多くの孤児達や大人達を見てきた経験があるかもしれません。

そこで、「苦しんでいるのは自分だけではない」と孤独がある程度癒えたり、多くの子供達の中で、それぞれ色々な人間関係を経験してきたことも考えられます。

 

色々な人間を見てきたならば、「この人のこの部分」「あの人のあの部分」…と、人々の良いと思った点を、要素ごとに吸収できそうです。

 

 

愛を投げる対象が多いと、愛が報われやすくなる

また、「愛が報われる」体験の獲得についても、多くの人と接していた方がより得られやすいと考えられます。

この体験は、Lisaばかり見ていたBradやBuzzoが、中々得られなかったものでしょう。

 

誰かを愛しても、それが報われるとは限りません。愛した側の愛情表現が愛された側に合わなかったり、どちらかに問題や事情があったり…

 

そこで、報われない愛に執着すると、苦しむことになります。

が、新たな人に目を向け、新たな経験を積めば、自分の無理のない愛情表現を喜ぶ相手が出てきて、報われて幸せな関係が築けるかもしれません。

また、より多くの愛する経験を積むことになり、愛情の表現もより洗練されて、多くの人に届きやすいものに磨かれることも考えられますね。

 

 

 

 

 

今回は以上です!ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

私としては、

「Randoは、正体を明かさないヒーローとして仮面を被って活動していた」

「正体を明かさないからこそ、rando(見知らぬ奴)と呼ばれ始めた」

「(彼が孤児院にいたと仮定すると)孤児院の他の子供達を見た結果、多くの人間への愛を持つようになった」

これらの可能性を発見できて、非常にすっきりしました。

 

次回は、これまでの考察を振り返り、彼の人生の概略をまとめてみたいと思います。

 

次回:Rando精神考察5 -Rando人生推測総まとめ・あとがき - ハザマでシジマな瞑想所