原始回帰 ハザマ二次創作の初めの初め
こんばんは、ハザマシジマです。
今回は、自らの二次創作の原点に立ち返っての記事となります。
年齢がまだ一桁だったころ、絵を描くことがとても好きでした。
今となっては、情報発信では絵よりも字が主体になりました。長めな文章でも、文字媒体での発信の方が気軽な感覚がします。
6年前にブログを始める前までは、絵を描く方が得意で、むしろ文字の方に苦手意識があったことを思い出しました。人生どうなるか分かりませんね。
幼い頃の二次創作に立ち返って、絵を一枚描きました。
こちらの絵に、私の最初の二次創作の要素が殆ど詰め込まれています。
クレヨンを初めとする授業でも使う画材に、大きな画用紙という、完全なアナログ。
当時は大好きだった(今も勿論好きです)ポケモン。
そして、現実ではありえないような空想上の世界。
これが、私の原初の二次創作の舞台でした。
当時はそれらの上で、無邪気に広々と、思いのままに描いていました。
「クレヨンや紙が勿体ない」と心配することもなく。
デッサンや構造の狂いを心配することもなく。
「原作のキャラクターはそんなことしない」と自分の二次創作への妄想を厳しく判定することもなく。
休日の最終日に、「子供の頃好きだったことをしてみよう」と思い立ち、12色のパステルと大きめの画用紙で描きました。
大きな画用紙に広々と描いている感覚に、パステル独特の油っぽい匂い。幼い頃のような感覚で描いていました。
複数の色のパステルを使い、混色や濃淡の表現という、当時では思いつかなかった技術も携えながら。画用紙全面にクレヨンを贅沢に使いながら、12色よりも多くの色を出してゆきました。
その昔の感覚の中で思い出した記憶がありました。2歳ごろに園での進級祝いとしてもらった、自分の絵が入ったマグカップのこと。こちらにも、ポケモンを描いていました。ピカチュウにライチュウを大きく描き、余白にはミュウツーとミュウの顔を描いていました。そのマグカップは少なくとも10年は使用していた気がします。
授業で使ったファイルにも鉛筆で絵を描いていたり、自分で漫画を描いていたりと、結構自由に想像を膨らませながら絵を描いていました。
教科書に落書きまではしなかったものの、結構アナログで絵を描いていたと思い出しました。
その感覚のまま眠りにつき、目覚めると、昔の寝覚めの感覚まで蘇ってきました。
考え事での精神の疲労も見受けられず、頭もすっきり。
いつからか「画材が勿体ない」と感じるようになっていった(最近は勿体ないという意識も薄れました)ものの、画用紙もクレパスも、私の手元には多くの画材が余っていました。
「食べ物や行楽や、消耗品であっても、勿体ないと躊躇わずに、存分に描いたり味わったりすれば良いのだ」と改めて感じました。むしろ、倹約意識によって、自分の創造性や快楽を潰してしまうことの方が勿体ないかもしれません。
私の中には、まだまだ自身を大切にできる余地が残っているようでした。
今回は以上です!読んでくださりありがとうございました。