ハザマでシジマな瞑想所

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Buzzoの精神状態考察その7 何故彼女と仲良くなった?:その6を踏まえ推測

こんばんは、ハザマシジマです。

 

今回はその6に引き続き、若き日のBuzzoについて再び考察を書きたいと思います。 

Buzzoの精神状態考察その6 何故彼女に堕ちたか:環境より出ずる観念 - ハザマでシジマな瞑想所

 

その6では「何故Buzzoは彼女と仲良くなったのかが分からない」と書きましたが、その6で浮かんだ推測を利用すると、彼が彼女と仲良くなった要因が一つ予想できました。

 

LISAのネタバレを含みます。念のためご注意ください。

 

 

互いに同じ価値観を持つ貴重な相手として意気投合したのでは

では今回も、私の推測から。

 Buzzo考察その6にて、彼は「愛情を得るのは至難の業」という観念を持っているのではないかと推測した。これは虐待されて育ったLisaにも当てはまるであろう。

 LisaとBuzzoは、同じ観念・価値観を共有できる貴重な相手として、最初は意気投合したのではないか。

 

 

 

「愛情を得るのは至難の業」という観念が両者に有ったのでは

  今回の推測の大元となるのは、上記の観念です。LisaだけではなくBuzzoも、愛情を得るのが困難な環境で育ったが故に、この観念を持っていたのではと、その6ではJoyfulエピローグの彼の様子から推測しました。

 今回は、Lisa、Buzzoの両者ともに、その観念を持っていたのではないかと考えながら、二人が仲良くなった背景について、推測を展開します。

 

観念故に、両者とも周囲の同年代には馴染めなかった?

「愛情を得るのは至難の業」という考え方は、以下の2点から、標準的な周囲の同年代に馴染みにくくなる作用があると考えられます。

 

 

周囲との観念の違いが大きすぎて、馴染めない?

 特に子供の内は、大人よりも知識や経験が少なく、狭くなりがちです。視野や経験が広がった大人同士ですら、価値観の違いがある中での歩み寄りは難しいことです。子供同士ならば更に難しいことでしょう。

 

 人生最初の対人関係の学びは、常に家庭内から。

 家庭では、子供の多くは愛情をそれなりに注がれてきています。そんな子供たちの場合、「家族は自分に温かく接する」→「だから、他の人も自分に温かく接するだろう」→「自分の気持ちを素直に表現し、のびのびと他の子供とも接していこう」というように、優しくされた経験から、他者へ心を開くのが基本的な姿勢となります。

 一方、家庭内できつい叱責や躾を受けたり、愛情のない冷たい接し方をされた場合、「家族は自分を傷つけてくる、もしくは優しくされた試しがない」→「他の奴らも安心はできない、傷つけてくるかもしれない」→「奴らに心を許してはならない、自分の安全の為常に気を張らねば」というように、傷つけられた経験から、他者を警戒するのが基本的な姿勢となります。

 ときに理不尽な虐待など、子供がどう対処すればいいのか分からない事態の場合、「家族は自分を傷つけてくる、逃げても立ち向かっても何しても駄目だ」→「他の奴らも自分を理不尽に痛めつけにくるだろう、でもどうすればいいのか分からない」→「感覚を鈍らせただ耐えるしかない」というように、他者に絶望し無反応になるかもしれません。

 

 家庭内での環境の感じ方次第で、想定しうる範囲でもここまでの違いが出てきます。このような観念の違い故に、他の子供と接しても「周りの相手は自分を分かってくれない」「皆と感覚が違いすぎる」「何故か馴染めない」と、LisaもBuzzoも疎外感を感じがちだったかもしれません。

 

 

家庭内での経験故に人間関係全般に悲観し、同年代とは関わりにくかった?

 前述のように、観念の違いからの相互理解の困難さもありますが、「観念自体が他者との交流に向いているかどうか」も、本人の中の生き辛さに影響してきます。

 例えば、心を開き他者を受け入れる姿勢の子供が、違う観念を持つ相手と会ったときは「心を開いて話し合ってみよう」「今は駄目だったけれど、いつか分かり合えるかも」と、楽観的に考えられるはずです。

 しかし、他者を警戒する姿勢の子供が、違う観念を持つ相手と会ったときは「やはりこいつも駄目だった」「逃げるか、排除するかしよう」と、歩み寄れる可能性や、時を経て分かり合える可能性を想定できずに、その相手との相互理解を早々に諦めるかもしれません。

 大まかには、交流に適性があるのは、他者に対し

   心を開く > 警戒する > 絶望する 

の順番だと考えられます。恐らく人口順でも、この並びになると考えられます。

 

 LisaもBuzzoも、他者に対するスタンスは「警戒する」か「絶望する」かの辺りで、相互理解向きではない観念だったと考えられます。

 故に、同じ観念を持つ相手は中々おらず、更に相互理解向きではない観念であることも相まって、人間関係全般を諦めがち。

 互いにそのような日々を過ごす中で、同じ観念を持つLisaとBuzzoが出会い、互いを「他にない理解者」として意気投合していった、というのが私の推測です。

 

 

 

 2人が知り合ってから、執着に落ちてゆくまでの過程まとめ

LisaとBuzzoの仲については、大まかには

 

同じ価値観から意気投合 

→ 互いに仲が深まる 

→ 互いを心の拠り所とし始める 

→ 互いに相手から救われようと試みる

(恐らくこの段階がJoyfulのLisaエピローグ。LisaはBuzzoを自分の指示に従わせることで、家庭内で安全に過ごそうと試みるのと同時に、彼からの愛を得ようとしている。BuzzoはLisaの指示に従うことで、彼女からの愛を得ようとしている。)

→ そうし続けるうちに互いに精神的な負担が重くなり、不健全化が進む

→ Buzzo執着、Lisa死亡

の順番ではないか考えています。

 

今回は以上です!読んでくださりありがとうございました。